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アクセス数テキストの反省(2)

その他
01 /14 2009
・なんであいばさんに聞いてもらいたいことがないのか

その辺はちょっとマーケティングに関する疑問というか
疑念というかアヤしさみたいなものを感じているからですね。
マーケティング自体を否定してる訳じゃないんですけど
(他者への関心という意味では評価する点もあります)、
状況によるとマーケットは暴走する訳で、
そうなるとマーケティングも暴走するんじゃないかなと思ってます。

マーケティングはもちろん広告活動だけじゃないんですけど、
今回はそこに区切って説明します。

例えば価値100の製品があったとして、評価が1だったとします。
その評価を1から100に上げる行為には正当性があるんですね。
つまり、世に知られてない良いモノをみんなに紹介するという意味でです。
不当に低いものを上げるという意味では広告は善です。
ただですね、これが評価を100から120にしようとか150にしようとか
言う風になるとちょっと雲行きが怪しくなってきます。

もちろんブランドというものがあるので(精神的付加価値とでも言えばいいんですかね)、
120でも150でも満足する人もいます。
しかし、これがですね、評価を1万とか100万にしようとか言い出すと
もうはっきり言って詐欺的活動なんですよね。
そして今行われてることは僕が見る限り後者な気がするんですよね。
なんでそう思うかというと、短期的に考えると商品のクオリティを上げる努力よりも
広告に力を入れて売った方が楽に儲かるからです。(断定しちゃったよ)

「よく見せる」というのは大事なんですが、
よく見せる技術が異常に発達してもそれは人に錯覚を与えるだけです。
というよりもむしろ気付いたときの落差を考えるとマイナスなんですよね。
こうなると広告活動が悪になっちゃいます。

広告のおかげでいっぱい商品が売れたとします。
短期的にはこれでいいんですが、
もし商品に欠陥があったら売れた分だけ不信をばらまいたことになります。
つまり売れれば売れた分だけ信用を失うことになるということです。
この例が極端だとしても、売れたことがネガティブな効果を与える場合はあるんですよね。
そうなると「とにかくなんでも売れればいい」って言うのは間違いで、
長期的に信用されるためには商品の質を高める必要があります。

ブログに例えると、アクセス数が100から100万になっても見当違いなことを言ってたら
100万人にガッカリされる訳で100人にガッカリされるよりもダメージがデカイ訳です。

あれ?なんかアクセス数に関する結論が違ってきてるな?(わざとらしい)

ドサクサにあいばさん批判になってる気がしつつ、続きます。(まだ続くの?)
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けった

2017年はほどほどに

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