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かんなぎ問題についてふしだらに考えてみた

アニメ
01 /05 2009
前回の3億円では師匠をナイスフィッシュすることに成功した訳ですが
(もしかしたらお年玉かも)、あの記事の後で、
ではどうすれば必要な物の枠を広げることができるのだろうか
みたいな続きを書こうかなと考えていたんですが、
それはまた気が向いたらやろうと思います。
少し向こうに述べるとすると師匠が人材投資に使うとしたのは
ちょっと僕にとっては意外だったんですが、逆に流石というか。
まぁ僕に褒められても嬉しくないですよね(コレ謙遜的な物)。
メチャクチャ勝手なイメージなんですけど、
機械言語が得意であろうのでもっと技術革新の話とか
するのかなとか適当に思ってました。サーセン。
あれだけ細かく数値を使うモデリングは僕には出来ないので、
あそこを触発できたらそれで良しかなと思っときます。

話は変わりまして、タイトルの方へいきます(相変わらず長い前フリでつね)。
そもそもかんなぎ問題というのを良く知らなかったんですが、
(かんなぎもアニメ見るの止めてしまったので)
雨人さんのHPで見かけて「かんなぎ問題」で調べたら、
あぁ知らない方がよかった事ですねと思いました。
完全に僕の話なんですけど、
雨人さんのページを見てテキストを書くと必ず失敗するんですよね。
1回目はギアス特番で2回目は雷句騒動ですか。
もうログが残ってないんで話してもしょうがないんですけど、
事態を知ってすぐに書き出すと感情的になりすぎて一方に肩入れしちゃうんですね。
僕も人の子と言うことですよ。木のウロから生まれたんじゃないんだよ!!(逆ギレ)
ギアスでは谷口監督擁護をしすぎたし、雷句先生の時は小学館側に行きすぎましたね。
まぁ雨人さんを諭そうみたいな上から目線で書くからダメなんですよね。
今回は読んでから一拍置いてるというか、
そもそもすでにタイムリーじゃないので多少はマシなんじゃないかなと思います。

まぁ問題としては、ナギたんが非処女だった(かもしれない)ということですね。
すごいですね、書いてて心底どうでもいいと思える事ってなかなかないですよ。
初めて知ったときは他の人と同じように
「架空の人物が処女でも非処女でもどうでもいいだろ・・・」と思ってたんですが、
寝て起きて、平凡な一日を過ごしていたら考えが変わってきました。

つまりですね、逆なんですよね。
架空の人物だからこそ処女か非処女かが重要なんですよ。
ホントは生々しいというかこういった話は苦手なんですけど、
今回は頑張るしかないので頑張ります。(ムダな努力)

例えばですね、リアルで器量良し、性格良しのおにゃのことお付き合いできたとします。
その時にですね、その女の子に「私非処女なの・・・」って言われたときにどうします?
「そうですか、じゃあさようなら」って言える男が一体どのぐらいいるのか。
皆無とは言わないですけど、
「いやそんなことどうでもいいからヤラせて・・・じゃなくて付き合って」って
言うのが普通じゃないですか。

一方でナギたんはどんなに好きでもちゅっちゅもできないし、
そもそも触れることができない訳ですね。
そうなると、その好きという感情は実行に移せないというか、
精神的な部分に依存していくわけです。
思いつきで言うと、リアルの子を占有したいと思えばセックスでもすれば満たされるんですが、
ナギの場合「誰の物でもない」と言うことを証明する必要があるんですね。
そうなると、処女でないとナギが視聴者のモノに成り得ないんですね。
ここに2次元と3次元の壁が存在して、3次元の人間は2次元の人間に勝てないんですよ。
大東くんはナギに触れられるし、可能性としてはセックスできるんですが、
僕たちは自分で慰めるしかないんですよね。
視聴者からしたらこんなに理不尽な事はないわけです。
まぁそれが裏切られたという感情ですよね。

一般の人が言う、「現実と虚構を混同している」という話は賛同できないというか、
いくらなんでもナギが実在しないって言うのは
重度のアニオタでも重々承知してるんですよね。
承知した上で「ナギという作り物」に入れ込んでるんですね。
だいたい作者だって「あたかも現実であるかのような理想」を作ろうとしているわけで、
それに共感する(上手く騙される)事の何がおかしいのかと思うんですよね。
まぁ確かに今は騙されたまま戻ってこない人も多いんでそこは大問題なんですけど・・・。

しかし要はですね、「ナギが好き」という感情の働きは普通、
そうなると「2次元は独占出来ない以上処女であって欲しい」という感情も
それなりに認める必要があると言うことだと思うんですよね。
ただこれを述べると、処女信仰をどこまで認めるのかという話になります。

そもそもこの「かんなぎ問題」を解き明かそうとすると、
「穢れとは」という話と、「処女信仰とは」という
もう勘弁してくれって言うぐらい難しい問題にぶち当たる訳で、
僕に解決なんか出来る訳ないんです。
なので、穢れは今回はあきらめて、処女信仰に絞りたいと思います。
といっても深入りなんてできやしないのですけどね。

適当にネットを見た感じだと、「諸説入り乱れている」というのがピッタリですね。
日本に処女信仰はなかったのかあったのか、
古事記に書いてるだろって意見もあれば戦後に導入されたとか
言ってる人もいるしでもうなにがなんやらですね。
そもそも細かく見ていくなんて性に合わないからあきらめるとすると、
逆にどうしてこんなに入り乱れているのかから解きほぐすしかないんですね。

ここで処女の逆の童貞を考えると、童貞は今はバカにされる対象ですよね。
しかしですね、世の中から童貞が減れば、おそらく処女も減るハズなんですよね。
(いや、もちろん既経験者からって言うのもあるんですけどね)
簡単に言うと処女=イイ、童貞=ププッ、って言うのは葛藤状態にはあると考えられます。

なんでこういう状態になってるかって言うとですね、
セックスに対する人間のアンビバレントな感情から来てるのではないかということですね。
一般に子供が生まれることは良いことだとされています。
すると、子供はコウノトリが運んでくる訳ではないので、
どこかで男女が結ばれてる訳ですよね。
そう考えると今の生命礼賛の流れでもっとセックスが推奨というか、
絶賛されていても全くおかしくない訳で、
ぶっちゃけるとみんなが避妊せずにセックスしまくれば
子供が生まれまくって世界はハッピーになるのです。
実際セックスを褒める流れって言うのも存在して、
まず新興宗教ではありがちだし、アメリカで起こったヒッピー文化は
生命礼賛の流れでセックスを表立って見せていました。
(例えばジョンレノンとオノヨーコのベッドでのヌード写真とか)
日本の文化で言ったら男根を崇める神社は存在する訳で、
これも命が大事ならそれを生み出すオチンチンは偉大だみたいな話だと思うんですよね。

じゃあ今実際そういう流れになってるのかって言えばそれは違って、
公衆の面前でセックスしてたら捕まりますよね。(例:AVの人達)
それどころかおっさんが女の子の前で下ネタでも言った日には
セクシャルハラスメントな世の中なんですよね。

それがおかしいと言っている訳じゃなくて、
つまりセックスって言うのは「大事だけど表立ててはならない」存在なんですね。
人間に元々備わる獣性、そしてそれを嫌悪する理性、と言った所でしょうか。
セックスを隠すのは人間が獣と違うから、つまり精神を持つからです。

なんでこんなにセックスセックス言ってるのかよく分からなくなってきたんですが、
どうせならぼっきぼっき言ってたほうがウケたのに
とかそういうのは置いておきまして(まぁでもあれは笑っちゃいましたね)、
セックスが人間にとって避けられないからそれを未体験な処女は貴重という考え方もあれば、
セックス自体を否定=処女が重要という考え方もできるし、
セックスの捉え方によって処女の見方も変わってくるかなということです。

そしてセックスの捉え方が難しい立ち位置にある以上、
処女の立ち位置も微妙にならざるを得ない訳で、
おそらく簡単に処女信仰は否定できないのです。
まぁ個人的に言えばムリヤリ捨てるのは違うと思うし、
本当に好きな人にとっておけばって感じですけどね(そう、僕は保守的な人間さ!)。

で、元に戻って繰り返すと、ナギたんを好きな人が処女であって欲しい
という願望があることはある程度認めるということです。
かと言ってかんなぎを焚書にして作者の元に送るとかはキチガイ認定なんですけどね。
僕が考えるきっかけになったのは、
「俺たちがそういうの嫌いなの分かってるんだから、
止めてくれよ・・・」みたいな意見を見たときですね。
これになんか悟りみたいなのを感じて面白かったんですよね。
この人を多少擁護できたなら良かったですかね。
でも武梨先生はそういったファンのメンタリティが嫌で
たぶん分かっててやったんだと思いますけどね。
この人に少しは3次元に興味を持てよと言って終わりにしときます
(全アニメファンに挑戦状か!?)。
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