西部邁先生との思い出 後編

その他
03 /10 2013
3回目に先生にお会いしたのは2010年の冬だったと思います。
九州発言者塾の講義がまた久留米であったので
(久留米であるのは主催者が久留米の人だから)、出かけてきました。
朝起きられなかったかなんかでまた講義には遅れて参加しました。
これまた内容は覚えてないんですが、
西部先生の娘さんが準備したレジュメに誤植があったのは覚えています。

講義途中で西部先生が、「こんな日本の現状じゃタバコでも吸わないとやってられない」
とか言って、タバコをぷかぷかとやり出したのが印象に残っています。
公共施設内なので間違いなく禁煙なんだろうけどなぁとは思いました。

二次会では焼き肉がメインの会場でした。
最初は西部先生と違うテーブルに座っていて、
自分の目の前の家族連れの人と税務の話をしたりしていたんですが、
途中で西部先生と向かいの席になりました。

前編で言い忘れていたんですが、
西部先生は笑わないんですけどスマイルが大事だとおっしゃっていて、
よく笑顔は作られます。

僕は全然2回目お会いした時にスマイルができなくて、次はきちんとしようと思っていました。
それでスマイルはできるようになったんですが、
周りがものすごい勢いで西部先生に話しかけるので、
結局一言も西部先生に話すことができませんでした。

そんな僕をもどかしく思ったのか、会話をどうするかについての話をされて、
「アメリカの同時多発テロが起こった時に、妻は大喜びしていた。
そんな妻を見て息子は怒り狂い、テーブルをひっくり返した。
会話って言うのはそういうもんだ」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

西部先生に話ができなかったのは、何を言っても自分の知識では跳ね返されそうで怖かった
って言うのはあるんですが、
向かいに座っておきながらの体たらくだったので、
今思い返しても失礼だったなぁと思います。もっと自分なりの思考を整えないとダメですね。

その時西部先生の隣にお医者さんが座ってたんですが、
この人が西部先生につっかかって身体を寄せて先生にさわった時に、
先生が「触るな!」と気色ばんで
「アメリカじゃこんな風になったら拳銃でズドンだ」と言っていたのも印象に残っています。

その日は体調がイマイチだったのと、帰る方法がなかったのでカラオケには行かずに帰りました。

それ以来福岡には来られてないと思うので、
お会いできていないのですが、また機会があったら行きたいと思います。

この話だけ聞くとどうして西部先生に会いたがるのかがよく分からないと思うので、
次は西部先生に感じる魅力について話せればと思います。
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