西部邁先生との思い出 前編

その他
03 /01 2013
西部邁先生にお会いしたことは3回あって、順に話をしていきます。

1回目はアクロス福岡で講演があったのに参加した時に客席から見ました。
今調べたら2006年の4月なので、もう7年も前になるんですね。
テーマは平成改革についてだったらしいのですがよく覚えていません。
関岡英之が来ていたので、アメリカとの年次改革要望書によって
日本がいかにアメリカナイズドされているのかを語っていた気がします。
印象に残ったのは、質問コーナーで森田実がフジテレビから干された理由を
聞いていた人がいたのと(この人は何度も手を挙げていて、
西部先生が他の人いませんかとか客席に聞いていた)、
今ホットな自見庄三郎議員の奥さんが質問をしたのです。
自見議員の奥さんは質問コーナーなのに全く質問をせず、
当時郵政選挙で敗北して浪人だった自見議員への支持を
みなさまよろしくお願いいたしますと言っていました。
西部先生はその奥さんに対して「今この場でそういう事を言ってはいけない」と、
諭していました。その後で「まぁ応援に私は行きますから」とも言っていました。
僕としては何百人もいる前で注意できる西部先生はスゲーなと思いました
(自見議員の奥さんが支持をお願いした時は現場の空気がおかしくなったのです)。
僕は講演が終わった後、九州発言者塾に入会したのですが、
(発言者塾は西部先生主催の塾で、その当時九州では年4回の講義)
その後すぐ病気になってしまい、その年は1回も行けませんでした。
1万2000円も払ったのに、トホホです。

2回目は2009年の8月だったと思います。
九州発言者塾の元塾生になっていた僕に、ハガキが来て、
久留米に西部先生が来て講義すると言う内容でした。
当時就活中だったので、久留米まで行けるかなと思ったのですが、
参加することにしました。
当日、就活があったので遅れて参加したのですが、
これまた講義内容は全く覚えていません。

講義が終わった後に、二次会があったのですが、
参加方法が分からなくて幹事っぽい人と西部先生が車に乗っていくのをおっかけました。
その時の西部先生の背が小さかったのをよく覚えています。
なんとか違う幹事っぽい人に二次会参加の旨を伝え、会場まで車で送ってもらいました。
会場に着くとなぜか西部先生と数人しか集まっていませんでした。
そこで西部先生に挨拶をしました。きちんと挨拶するとちょっと驚かれて、「名前は?」
「○○です」「○○君ね、分かった」というやり取りをしました。
正直人が多すぎて名前なんて覚えられないと思うんですけど、
それでも覚えたフリをするのが礼儀なんだなと思いました。
(若い人には青年!とか言って呼びかけるのが西部先生です)

2次会には20人ぐらい参加していました。
いきなり料理でカニが出て、
北海道出身の西部先生が「ここでカニに出会うとは・・・」とおっしゃっていました。
その後もステーキが出てきたり、老人にはツライ内容でしたが、
サーモン食べたりステーキ食べたり結構食べていました。
食べ終わった後にマコモ(健康食品)を飲んでいて、
あぁ本で言っていたけどホントにマコモ飲むんだなと思いました。
参加者の人も「マコモ飲むんですね」と話しかけていて、
西部先生は「だって効くんだもん」と言っていました。
僕も将来は絶対マコモ飲むぞ!と思い、実際飲んでいた時期が数ヶ月あるんですが、
自分にとっては高価過ぎて飲むのを止めてしまいました。

2次会の自己紹介では、主催者の一人で僕が通っていた大学の教授がいて、
うちの大学の経済学部は新自由主義派ばっかりでとんでもないと
講義の時に言っていたので、「悪名高き○○大学経済学部出身です」
とジョークで言ったら、その教授は笑って
「出身者がいるならそんな事言わなかったのに」と言っていたんですが、
西部先生はちょっと考え込んで「君がそういうのも最もだ」とか
なんとか言って現在の経済学を問題視した発言をしたので、
「あぁ、ジョークが通じなかった」と思いました。
(3回目会った時も再確認したんですが、
西部先生は冗談言っても真面目に考え込むのでジョークが全く通じない)

2次会では明治維新前後の日本が話のテーマになりました。
凄かったのは、20人がバラバラにならずにじっと聞いているんですね。
よく西部先生は「日本は飲み会になると向かいの人と二人一組なって話をする。
これでは集まっている意味がない」とおっしゃっています。
しかし実際にあれだけの人数が参加した飲み会で、
よく一つの話にもっていけるなぁとちょっと感動しました。
話の内容はあまり覚えていないんですが(西部先生が吉田松陰は
視野が狭いとか言ってたのは覚えているんですが)、
自分が無知すぎて全くついていけなかったし、話にも加われませんでした。
途中で日本はもうダメなのではないかという話になったのですが、
「今こうした集まりがあればそれで守られるものもあるのではないか」と
西部先生は言っていました。

ちょうど衆議院選挙が直前だったのですが、
最近は新聞の世論調査どおりの結果になっているので、
そのまま民主党が勝つだろうと言われたので、
僕が自民党への揺り戻しもあるのではないかと西部先生に言いました。
「僕もそう思うけど、最近は世論調査通りになっているからなぁ」と
おっしゃっていました。
(実際世論調査通りに民主党が圧勝しました)

こうして2次会が終わり、最後にカラオケに行くことになりました。
僕も車に乗せてもらって会場のシダックスに連れて行ってもらったのですが、
これまた西部先生と数名しか集まっていませんでした。
西部先生は「こういった時にすぐに集まれない日本人はダメだ」とおっしゃっていたので、
僕は「やっぱりヨーロッパとかは違うんですか?」と尋ねました。
先生は「イタリアあたりはパッと集まるね」と応えました。

しばらくして10人弱集まりました。
誰も歌わないので僕が最初に「涙そうそう」を歌いました。
西部先生は女の人と喋っていました。
あんまり聞いてない風だったのですが、
聞いてないフリして聞いてるのが先生なので、そのあたりよく分かりません。

その後は軍歌祭りでした。西部先生と僕の大学の教授と他何人かで軍歌、軍歌、軍歌です。
西部先生は声量がとても大きくて歌も上手くて驚きました。
感情を込めて軍歌を歌うので、僕は「あぁ、先生は戦前に生まれて
特攻隊に参加して散りたかったんだろうなぁ」としみじみ思いました。

どんな歌を歌えばいいか西部先生に尋ねると、
「できるだけ昔の歌を歌うのがいいね。あとは童謡なんていいんですよ」と言いました。
古い歌がいいということなので、その後中島みゆきの「時代」と、
「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌いました。

時代の時はほとんどノーリアクションだったんですが、
あの素晴らしい愛をもう一度の時に、他の人に「これいつの歌?」と聞かれていて、
聞かれた人が「全共闘世代ですよ」と答えていたんですが、
歌っている僕に「恋愛歌を歌うな」と笑いながら野次りはじめました。

そもそもこの歌を歌おうと思ったのは、庵野秀明の「ラブ&ホップ」の
テーマソングになっていたからなんですが、歌っている間中ずっと野次られました。
あんまりにも言われるんで途中で歌うのを止めようかなとも思ったんですが、
止めたら負けかなと思い、最後まで歌いきりました。
歌いきると、「青年よ、愛を歌ってはいけない」と笑いながら言われました。
愛は私心なんで人前でおおっぴらに披露してはいけないという事を
常々おっしゃられているので、理屈は分かりましたが
そんなに野次らなくてもいいじゃんとも思いました。
でも終わってみると根性が付いたし、
いいコミュニケーションになったのではないかと思います。

最後は「同期の桜」で締めて終わりました。
途中で先生が4万円ポケットに入れていたら落として、奥さんに怒られたという話を
女の人にしていて、女の人が「そうですか」程度の返しをしたらしいんですが、
「どうしてウチの妻が、自分が死んだ後にそんなことでは生活できないから
怒ったのではないですか?というぐらいの話をしてくれないのだ」と
不満を述べていました。
カラオケが終わった後に先生に「これに懲りずにまた来て下さい」と言うと、
ニヤッと笑っていました。
2回目は結構ガッツリ交流ができてよかったなぁと思いました。

3回目に会った話は後編でお話しします。
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