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笑いとはおからである

評論系雑感
02 /10 2011
今日は笑いの伝道師と呼ばれているけったさんがお笑いについてレクチャーします。
まず自分の笑いの認識から説明すると、笑いとは差異の発生とその解消にあります。
いきなり硬い言葉で説明してしまいましたが、
つまり日常もしくは普通だと思われている出来事からのズレが笑いです。

ただこのズレと言うのが問題で、ズレ過ぎると笑いではなく異常な人だと思われます。
つまりズレにも限度があるのであり、
そのズレの限度ギリギリを狙うのが一番面白い状態なのです。

ですが、このズレの限界点というのが人それぞれな部分があって、
その人の許容度によって笑いを感じるか恐怖を感じさせてしまうかが決まってきます。
ですので、誰かを笑わせようとするならば、
まずその人の限界を見極めなければいけません。

ズレの許容度が狭い人にはゆるい笑いを、
ズレの許容度が広い人にはシュールやマニアックな笑いを提供するのがベターです。

各個人という意味で言えば、
ボケによりズレが発生していても気がつかない場面が多々あります。
そのために存在するのがツッコミです。
ツッコミはボケが一般からズレている事を「説明」します。
それによって聞いている人が話がズレていたんだと認識できるのです。

つまりツッコミはズレの解消の役割を持っています。
笑いのスキルが高い人はボケの時点でズレを認識できますので、
ツッコミがやや蛇足気味に感じてしまう事も往々にしてあります。

僕が好む手法としては、ツッコミも微妙にズラすという手法があります。
これは真面目にツッコまずにツッコミにもボケの役割を担ってもらうと言うことです。
ダブルボケに近いんですが、
そう言う意味ではマニアックな方向性を志向していると自分でも思っています。

本論からズレてきましたが(でもこれは笑いにならない)、
言いたい事は「笑いとはおからである」と言うことです。

おからとは豆腐を作る過程でできる残りかすです。
これがなんで笑いなのかというと、笑いは横道に逸れる行為なんですね。

そもそも真っ当な事がなんなのかを理解していないと
そこからズレているという事は理解できません。
真面目に何かを考えている時にふと脇道に逸れてしまうのが笑いなんです。

そこが豆腐作りと似ていて、
そもそも豆腐を作っている人はおいしいおからを作ろうなんて思っていません。
あくまでも豆腐のおいしさを追求した結果、
残余物のおからもおいしくなるという寸法です。

そう考えていくと、笑いを極めるって言うのは少しおかしな話で
おからを極めるって言っているのと同じです。
はっきり言うと真剣に笑いを考えるって言うのは本末転倒なんです。
笑いは日常を真剣に考えた時に生まれる残余物なんです。

僕から見たらM-1なんていうのはもう変な大会で、全日本おから選手権みたいなもんです。

こういった形でおからを競い出すとですね、
おからの味をトッピングで変えようというムーブメントになっちゃうんですね。
にんじん入れてみようとかハンバーグにしてみようとかならまだ許容範囲なんですが、
マヨネーズ入れようとかタバスコかけてみようとか言い出したらもう完全に狂った話になります。

要はおからをおいしくするためには豆腐をおいしくするしかないんです。
懸命に豆腐を作る、それだけが唯一の道です。

そしてあなたにとっての豆腐は一体なんですか?
と僕自身にも投げかけて終わりにします。

笑い取れなかったなこのテキスト・・・
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けった

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