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ムーさんのアンケート回答への回答

けったグランプリセカンド
12 /02 2010
ムーさんがアンケートに答えて下さっているので、その回答の回答をしたいと思います。
もちろんすべて参考にしますが、逐一返事を返していってもラチがあかないので、
自分が返答する必要があると思う部分だけお返しします。

「作品と出品者を紐づけず、作品ナンバーで示すことで、
出品者間の公平性を確立する」システムが機能していないとの事でしたが、
これについては自分の公平性の考えを申し述べる必要があります。

公平性を実現するためには二つの方法があると思います。

・形式的公平からの公平性
・実質的公平からの公平性

ここで言う形式的公平とは一旦相手の心情に
公平を迫って公平を実現する方法と言う事です。
対して実質的公平とは直接的に公平性を実現する方法です。
例えば実質的公平は、今回の制度で言えば一般投票を
同IPから2重に投票できなくするという方法です。システムが未然に悪意を排除する方法です。
形式的公平はその制度自体が公平性を実現する訳ではありません。
例えば「公平に投票してください」などの呼びかけが形式的公平に当たります。
この呼びかけ自体が直接公平性を守る訳ではありません。
相手に公平性を守るように訴えて間接的に公平性を守るのです。

この考え方で行けば、「作品と出品者を紐づけず、
作品ナンバーで示すことで、出品者間の公平性を確立する」という方法は形式的公平に当たります。
僕の判断ではムーさんはこの制度が実質的公平でないから機能していないとおっしゃってると考えます。
その通りで、この制度自体が実質的に公平を守る事はありません。
この制度で偏った見方が排除される訳ではないと言う事です。
ただこの方法は相手に公平に見るようにお願いをしているのです。
つまり、形式的公平です。

一般に、形式的公平は慣習法(道徳、倫理)と結びつきます。
逆に実質的公平は制定法(ルールによる公平性)と結びつきます。

ここまで話していると問題点が浮かび上がります。
「実質的公平が守られるなら形式的公平はいらないのではないか」という問題です。

技術による公平性の担保は実質的公平です。
確かに、技術とルール(の明文化)により公平性が維持できるなら形式的公平は要りません。
ただその場合ルールが複雑になる恐れはあります。
単純に言って実質的公平のみで公平を守ろうとすると、規定通り判断するしかありません。
つまり、非弾力的な方法になります。(個別の事象に対して柔軟性がないと言う事)


一方で形式的公平は弾力的です。
つまりお互いのルール感覚が似通っていれば、
具体的事象ごとに判定が下せると言う事です。これは納得を生みます。
ただ形式的公平は非常に曖昧です。
「お互いのルール感覚が似通っている」という前提が必要になるため、
ここが上手くいかないと機能しません。

少し脱線しますが、アメリカのような人種間の対立が深刻な地域ですと、
結局制定法に頼るしか公平性を守る方法がありません。
よって、ルールは実質的公平が重要になります。
ですが、日本のような(ほぼ)同一民族である地域は、
元来慣習法のみで物事を解決できていました。
もちろん今の複雑な社会では制定法が必要なんですが、
大本では道徳なり倫理がないと制定法も機能しないと言う事です。

で、ここから元に戻りますが、形式的公平と実質的公平はどちらが重要と言う事ではなく、
両方重要です。
なぜなら、2ルートとも高いレベルで実現しないと公平性は結局守られないからです。

以上の自分の考えにより、「作品と出品者を紐づけず、
作品ナンバーで示すことで、出品者間の公平性を確立する」
という方法には形式的公平として意味があったと考えています。
少なくとも準備期間が短い第1回では主催者として
公平にジャッジしていると見られるためにはネコの手も借りたい状態でした。
また、ルールが煮詰まらない可能性も高かったので、参加者側の良心に深く頼らざるを得ない状態でした。その点は考慮に入れて頂いてもいいのではないかと思います。

ただ、「この先どうするのか」と言った問題ですが、僕が2回イベント主催を経験して、
どの程度自分が信頼を得られるようになったのかと関連していきます。
つまり、「けったは信頼が置ける」という同意がある程度得られる場合、
殊更道徳を持ち出す必要はありません。そうなってない場合は、維持する必要があるかもしれません。

ここで結論は出しませんが、変更になっても構わないのではないかとは思っています。

形式的公平は間接的な効果になるので、目に見えづらいですし、
それを固守する事で自分が頑迷だと思われるならデメリットも生じてくるからです。

「変更する準備を考えている」という事で、ひとまずの答えとしたいと思います。

また、「けったが優勝作品の題材と同じものをレビューする権利」
「けったが優勝者が指定したものをレビューする権利」
の権利の部分は義務ではないかという指摘ですが、
「けったに優勝者が優勝作品の題材と同じものをレビューさせる権利」
という言い回しに変えようかとも思ったんですが、
義務の方が自分にとっても都合がよいので変えさせていただきます。
仮に次回以降がある場合、
「けったが優勝作品の題材と同じものをレビューする義務」
「けったが優勝者が指定したものをレビューする義務」とさせていただきます。
触れてない点が多くて申し訳ないですが、これで返答とさせていただきます。
ムーさんありがとうございました。

閑話休題。

先日のディアボロさんのチャットを一通り読ませていただきました。
私見ですが、比較的近い(であろうと思っている)参加者の方にイベントのルールだけではなく、
人格的な部分まで問題があると言われると、
イベントが今後成立していくのかどうかという部分まで考える必要があるのではないかと思いました。
あとは自分が出向いて議論すると、結局誤解を生むだけだなと感じました。
かといってロムだけに徹するには精神衛生上良くないので、
しばらくチャットには参加しませんし、ロムも読まない事にしました。ご了承ください。
ですので、お手数ですが問題がある場合は直接的にコンタクトを取っていただくようにお願いします。
で、前述のようにイベントを続けていく事ができるのか、
もしくはしていっていいのかという問題がありますので、
(ルール形成を先走りすぎたという点もありますし)第3回以降は一旦すべて白紙にしたいと思います。
その上で、イベント自体行うのか止めるのか決めたいと思います。
期間ですが、年明けまでにはひとまずの結論を出したいと思います。
以上でチャットを読んだ感想とさせていただきます。

では失礼します。
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けった

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