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けいおんはなぜ究極にして至高なのか

アニメ
10 /01 2010
けいおんが究極にして至高である事については論を俟たない。
理由を説明したい。

けいおんがけいおんたる由縁は、そのディフォルメによる物語性の獲得にある。
つまりけいおんは重要である部分を極限まで強調する事によって
物語を紡ぎ出しているのである。

そもそもマンガにおける表現とは何であろうか。
意図された一部の強調と一部の喪失である。
目は大きく描かれ、鼻はなくなる。
なぜそうなるのか。
簡単に言えば大きな瞳が良いと言う事だ。鼻は不要な物だから要らないと言う事だ。
こう描かれる事によりキャラクターはリアリティを喪失する。
が、その代わりに虚構としての物語の登場人物としての資格を得るのだ。

ではけいおんが強調しているものは何なのか。
それは友情であり、高校時代への哀愁である。
ではけいおんが喪失しているものは何なのか。
それは異性である。

けいおんの世界に異性は居て居ない事になっている。
その意味でけいおん世界に人間はいない。いるのはキャラクターである。
だがそれでいいのだ。
強調と喪失によりけいおんは虚構たる物語としての資質を得た。
それが虚構である以上どんなにそのキャラクターの心情に
リアリティを付加してもそのキャラクターが人間となる事はない。
視聴者は現実を憎み虚構を好む。それが虚構であればあるほどなお良い。
けいおんの極限たる強調とすっぽりと空いた大穴のような喪失-
けいおんが究極にして至高たる由縁である。

なぜあずにゃんはぺろぺろされないといけないのかへの一考察

あずにゃんはぺろぺろされなければあずにゃんたり得ない。
あずにゃんはぺろぺろされる事によって
愛玩動物としての地位を確立するのだ。
あずにゃんはぺろぺろされる事によってその輪郭を確かなモノにする。
あずにゃんをぺろぺろしない事は飼い猫や犬をぺろぺろしない事と同じである。
それではまるで虐待ではないか。
視聴者は大いにあずにゃんをぺろぺろし、
あずにゃんがあずにゃんたる由縁を示す必要があるのである。

このように究極で至高たるけいおんであるが、筆者は1期の1話の3分で視聴を断念した。
いや、断念せざるを得なかったのである。
筆者がけいおんを見限ったのではない。けいおんが筆者を見限ったのである。
だがそれでよいのだ。なぜならけいおんが究極にして至高なのは自明の事なので、
見て確かめる必要がないのである。分かっているのに見続けたらそれは作業になってしまうではないか。

けいおんよ、永遠たれ。それを最後の願いとして筆を置きたいと思う。
あずにゃんぺろぺろ。
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けった

月曜日の夜、スカートを直した

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