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エヴァンゲリオンとは何だったのか その3 ~1995年をプレイバック~

エヴァ総括
12 /16 2009
エヴァンゲリオンは放送後社会現象と言われたのですが、
それは時代性に言葉を与えたという「印象を持たれた」のが一番大きいのではないかと思います。

ですのであの時代はなんだったのかという話になるのですが、
非常にざっくり言うと、1995年に起きた事件は阪神・淡路大震災とオウム真理教の事件の二つです。

現代社会で守られていると思われていた人の生命が簡単に無くなると言うのが
クローズアップされた年でした。(安全神話の崩壊)
まぁエヴァは前者よりも後者と絡めて語られる点が多かった訳ですが、
(例えばTV版最終回は自己啓発セミナーとの批判を受けた)
関連があるとすれば「不安」でしょうか。

エヴァの登場人物は基本的に自己不安に捕らわれているんですが、
(例えばシンジの「ここにいてもいいのか?」という問いは
自分が存在してもいいのかと言う事であり、問う事により自分の存在が自分によって脅かされている)
なぜ不安に陥るのかというとその人自身の価値観があまり確立していないからです。
はしょりすぎなのは承知なんですが、で、
普通に考えて10代で価値観が確立してるって言うのは異常な状態なので、
未熟な段階って言うのは基本的に情緒不安定なんですね。
だからシンジとかアスカが不安なのは当たり前なんですけど、
当時はもうちょっと日本が全体的に情緒不安定だったので、
エヴァの登場人物にシンパシーを感じる人が多かったと言う事なのかなと。

1995年の人達がどう揺らいでいたかというと、
1990年前後にバブル崩壊で金儲けで物質的に幸福という価値が大きく揺らいでいた上に
前述の大震災とオウムで安全もおぼつかない、さぁどうしようと言った所です。

今でも一部はヒルズがどうのこうのとか言ってるんですけど、
バブルの時は全国民がそうだったようで、金狂いのピークでした。
元を正すと、戦後の復興って言うのは物質的に極度に貧相だったのを
まずどうにかしようっていう所から始まってそこに価値を集約して一致団結して
この豊かさを達成したのです。
で、戦前の軍国主義は良くなかったと言う事で
軍事はアメリカに任せて「いのちだいじに」で行こうという方針が取られました。
端的に言うと戦後は経済においては物質的幸福、
政治においては民主主義と平和が絶対的価値だったのです。
(そして現在も継続中)

「モノが豊かになってとにかく生きていればいいよね」

この価値観でとりあえずの安定を手にしていたんですが、
そこが行き詰まってきて不安になってきたという事です。

人は不安になると確固たるものにすがったり、自分で自分の不安を増幅したりします。
前者がオウムで後者がエヴァな訳で、エヴァに話を戻すと、
「不安」という一点ではたしかに時代性を表していたと言っていいのかなと思います。

ですがちょっと不満があって、
エヴァほど当時のテレビのコメンテーターに論評されたアニメはないと思うんですが、
僕の印象としては社会学者達がエヴァをダシにオウムを含めた時代を語ろうとしていたのかなと
思うんですよね。そのアプローチには個人的に否定的で、
なんでかと言うと、エヴァとオウムを絡めるのはちょっと無理があるんですよね。

確かにオウムの幹部は高学歴で理系の人たちが多くて、
俗に思われている「オタク」の人達が中心だった訳ですが、
(この頃はまだ今よりもオタクって言うのに大幅な
マイナスイメージがあって今みたいに気軽に使えるほど定着はしてなかったのです)
それにしたってアニメ=オタクって言うのもステロすぎると言いますか。

オウムは世界の救済を求めての狂信なので、非常にいびつな形なんですけど、
外部にアプローチしようとしての最悪な事件の数々があったんですよ。
あの人達はポアしたら相手が救われると思ってた訳で、相手の事を思ってやったんですよね。
狂ってるとしかいいようがないんですけど、オウムの人たちからしたら「正しい」行為なんです。

エヴァは強烈な自己不信(他者不信も含まれる)のカタマリなので、
信仰とはあまり結びつかないんですよね。
(遠巻きに信仰を望んでいると捉えてもいいんですが、それにしたって意志が薄弱すぎ)
基本的に他人の救済とかどうでもよくて全部自分のためにやってる訳です。

エヴァに関しては心理学的アプローチも盛んに行われたんですが、
その頃日本でAC(アダルト・チルドレン)っていうのが異常に流行ったんですね。
これは精神科医の斉藤学が日本では広めたんですが、
簡単に言うと親が虐待すると子供が精神的に幼いまま大人になる「傾向がある」という話です。
いや、斉藤学の本をまともに読んでないのに断定するのはよくないんですが、
たぶんこういった事が書いてあるはずです。

ですがこれが非常に安直に世間には受け止められてしまって、
「虐待されたら病気になるor病気でもしょうがない」となってしまって自称ACのいつまでも経っても
精神病気取りでいっこうに治ろうとしない人たちが大量に出てきてしまったのです。
(この悪影響で斉藤学自体もACという呼称、概念を提唱しなくなる)
今は下火になってアダルトチルドレンという呼称はあまり使われなくなりました。

もう言わなくても分かると思うんですけど、
当時エヴァの登場人物はアダルトチルドレンだって散々言われたんですね。
アスカの精神崩壊が顕著ですけど、
幼児期のトラウマ(「母親が首を吊って死ぬ」)が遠因になって
精神を病むって言うのが心理学的アプローチの格好のエジキになったのです。
ですがACが誤解されたようにトラウマ的出来事を経験しても元気に生きている人はいっぱいいる訳で、
全員が全員そうなる訳ではないです。
だから心理学的アプローチというのも有効だとは僕は思いません。

で、宗教的アプローチを述べるとその2でも言ったんですが、
宗教的アプローチって言うのは実際エヴァ自体の解釈としてはこれまたほぼ無効だと思われます。
要は宗教家が自分の活動成果をエヴァをダシにして語っているだけであり、
エヴァを語っている訳ではないのです。
なぜならエヴァはキリスト教をモチーフにしていると言うのもはばかられるというか、
完全に「利用」しているんです。
庵野監督はキリスト教について相当勉強されたと思いますが、
そこに学術的興味はあったとしても庵野監督に信仰はないのは明白なので、
どこまで行っても利用です。

つまりエヴァに時代的アプローチ、宗教的アプローチ、
心理学的アプローチをかけるのはその人の自説を述べ立てているだけなんです。
そう断言すると言い過ぎなんですが。

男性は自分の専門領域でエヴァを語り女性は登場人物の心象風景で語ると言った傾向があるのかなと
当時流行りに流行ったエヴァ関連書を読んだ感じでは思いました。
これはエヴァの鏡としての特質がよく現れているというか、
ざっくり言うとエヴァの「どうとでも取れる」側面が出ているという事です。

庵野監督自体も何度も言っているんですけど、
エヴァはどうとでも取れるように作ってあるので、
その人達(主に男性)のエヴァ論は自分の得意分野の話を反射しているだけなんです。
そういう意味では全員で庵野監督の仕掛けた罠に嵌っている状態です。

僕の答えとしてはエヴァンゲリオンって言うのは
どこまで行っても庵野秀明の個人的な作品であり、
結局庵野秀明とはどういった人物なのかという所に行き着かざるを得ないんです。

ですからこのエヴァ論も少しずつそちらにシフトしていく予定です。
ですがその前に演出について話しておこうと思います。
と言うわけで、次回は多少無謀ですが、演出論をしようと思います。
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けった

2017年はほどほどに

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