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前を向いたらもう振り向かない ~YUI 『My Generation』~

J-POP解釈
11 /29 2009
という訳で新コーナーのJ-POP解釈です。
第1回目はYUIの『My Generation』です。

goo 歌詞
この歌は庄司陽子の「生徒諸君!」がドラマ化された時の主題歌なんですが、
要はYUIにとっての「学校」がここに描写されているという事です。

この歌の歌詞はYUIのプライベートとかなりリンクした私小説的な歌詞です。
この歌の主人公と同様にYUIは16歳の時に高校を中退して
歌手になると言う「夢」を叶えるために音楽塾に通い出して、
天神(福岡の中心街)であぐらをかいて路上ライブを始めます。
その後sonyのオーディションで才能を見出されて、月9の主題歌でデビュー、
その後はだいたい読者の方も知っているような活躍っぷりです。


冒頭ではクラスになじめずにひとりぼっちの少女を描写しています。で、

>チャイムが鳴り終われば 現実はもっと早く進んでゆくでしょ?

チャイムが鳴り終わるっていうのは、
「学校が終わる」=「学校を辞める(中退する)」って言うのを暗示しています。
しかし高校中退と言う事になると、社会的にはかなりのマイナスを背負う事になります。
現実として就ける職業も制限されるし、社会の目も厳しいです。
学校の経歴というのは一生背負う事になります。
だからそれでYUIも学校辞めたいんだけど、なかなか辞められなくて迷ってるのです。

>窓ガラス 割るような
気持ちとはちょっと違っていたんだ

はじめから 自由よ


ここのフレーズは尾崎豊の「卒業」を皮肉ってるんですが、
尾崎豊が学校へ通う事を大人からの支配と捉え、
早く自由になりたいと言って校舎の窓ガラスを壊してまわるのに対して、
YUIは「はじめから自由」だと言っているのです。

つまり大人の管理下にある学校にいるから制限されて不自由というのは違うのです。
自分の行動の自由を縛っているのは自分自身なのであり、
そしてそれは「描いた夢を強く信じきれない弱さ」から来ているとYUIは断じています。
「描いた夢を強く信じきれる」なら「はじめから自由」なんです。

他人の目を気にして学校にいる必要なんてなく、
要は多大なデメリットを被る「覚悟」があるなら学校なんて辞めればいいと言う事です。
辞めたいとかほざいて窓ガラスを割るような行為は社会に対する甘えです。
「覚悟」なき反抗であり、自分のデメリットを受け入れる度胸がない行為なのです。

とか言って僕個人が学校中退を推奨しているわけではありません。が、
自分を信じる事ができれば、自分の進みたい方へ進むのに
どうして他人の目を気にする事があるのでしょうか?
進めばいいじゃないですか。

もちろん、YUIは傍目から見たら成功したからそう言えるんだし、
説得力があるというのはあると思います。
YUIと似たような境遇で失敗して他人から見たら
悲惨な人生を歩んでる人もいると思います。
描いた夢が思いつきのチープなものであれば学校を飛び出しても失敗します。
ましてや10代の時の夢なんてたいてい思いつきなんであり、
学校は中退するより卒業した方がいいに決まってます。

矛盾した事を書いているようですが、
辞める必要がどうしてもあるなら辞めればいいという事です。
規則の原則にはもれなく例外が付いて回るのであり、
そして例外はいつだって原則と相反しています。
ルールを守ると一言に言っても、
今が原則のターンなのか例外のターンなのかを自分で判断する必要があるので、
(たいてい原則って言うぐらいだから原則なんですけど)
簡単な事ではなく本当はとても難しい事なんです。

だから自分で決めてその決定に対する責任を甘受するのが一番大切なんです。
上手くいっても駄目でも自分の責任なんです。
他人の判断にただ乗りして失敗して他人を逆恨みなんてナンセンスなのです。

YUIは自分で決めて高校を中退しました。
結果が成功しても失敗してもそれは自分の思っている方向へ進んでいる事だったのだと思います。
だから仮に失敗した時も後悔はしても
「学校に残っていれば良かった」とは思わなかったのではないかと思います。
高校中退者には高校中退者の生き方があるのです。
きちんと生きる事が出来れば誰にもその生き方はバカにできないはずです。
そしてその生き方を笑う人間はもれなく学校という概念に捕らわれた不自由者なのです。
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けった

月曜日の夜、スカートを直した

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