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物語の終わりと人生の終わり

社会系評論
06 /14 2009
タイトルに深い意味はなく、予断と偏見で書きます。(いつものこと)
物語にはいつか終わりが訪れます。
これに反論する人は・・・か、僕が嫌いな人でしょう。

ループ物は終わらないじゃないかって?いえいえ、そんなこたぁ、ござんせん。
言ってみれば物語がドーナツのようにぐるぐる回っていても、
僕たちは外部からドーナツを観測することができると言う事です。
つまり終わらなかったという終わりであり、一応オチはついていると言う事です。

ジャンプの打ち切り作品は総じてファンから見たら納得できない終わり方だと思いますが、
かと言って長ければいいという訳でもなさそうです。

ジャンプで言うとネウロが22(23?)巻で終わりました。
世間的に言うと、綺麗に終わって良かったねみたいな意見が多かったみたいです。

アイシールドがそろそろ終わるみたいですが、
あそこで終わっとけば良かったのにね的扱いを受けそうです。

読者としては好きな作品は終わって欲しくないんですが、
かと言ってどんどんつまらなくなって尻すぼみで終わるのはイヤだという
気持ちもある訳で、どこかでちゃんと終わって欲しいという欲求があるはずです。

最近のマンガ作品は長期化している傾向があります。
作品が長期化して言っている理由としては商業主義と作家の都合の二点ですかね。

商業側は散々言われてると思うので、
今回は作家側を妄想しながらつっこんでいこうかと思います。
作者側も軌道に乗った後、既存の作品でやりたい事がふくらんでいる内は
続けたいし(ワンピとかブリーチとか)、
逆に新しい作品をやる事を放擲してる作家の人もいます(こち亀とか)。
それ以外にも、続けている内にもうどうまとめていいか
分からなくなったのもありそうです。

作家としても物語が終わると言う事は、キャラにお別れをしないといけないと言う事です。
週刊連載で言うとストーリーものよりキャラで引っ張る方がおそらく多くなるでしょう。
(週刊連載で整合性のある話を作るのは困難なため)
もちろんストーリーとキャラを完全に峻別することなんてできないですが。

新しいキャラが皆に受けられるかどうかは未知であり、
なおかつ自分の今までのキャラを越える魅力を出せるかどうかも分かりません。
(和月先生もガンブレイズ~で失敗してるし)

儲かるからいいやって編集側と、
新しいキャラ作れないかも知れないという不安があるので
今のままでという作家側の悪い意味で保守的な態度が合致した時に
延々と話は続くのかも知れません(偏見で言うと犬夜叉とか)

ストーリーを綺麗に整備するとキャラの掘り下げをあきらめないといけない所もあったり、
その辺りを総合的に判断しながら作者は作品を作っているのではと思います。

この話を持ち出したのには前提がありまして、
年齢と作品の完成度にある種の相関があるのではという少々残酷な仮定です。
つまり、作者の年齢が高くなっていって成熟期を過ぎると、
物語をまとめる力が落ちてきます。(もちろんバラツキはありますけどね)
細かくは言えないんですけど、キャラであり、世界観であり、起承転結であり、
整合性であり、それらが少しずつトータルに落ちていきます。

完全に妄想なんですけど、冨樫先生は今かなりネーム作りで
苦労してるんじゃないかと思うんですよね。
僕には遊んでるようには感じられないというか、
一般的に子供が生まれたら多分仕事頑張ろうって思うじゃないですか。
それなのに時間をおかざるを得ないのは、
満足できる話を作れなくなってきてるからなんじゃないかと。
今までレベルの高い話を作ってきた分、
妥協はできないので結局時間をかけるしかないという。

結局、作品を終わらせる権限が作家にある場合、
作家が満足できなかったり潜在的に不安だったり力が落ちたりすると話が長くなります。
そして、今はそれが許される環境なので続いていきます。

こうなっていくとですね、先に作者の方が終わりを迎える場合があります。
栗本薫先生の死とグインサーガの未完は最近のニュースです。

グインサーガは読んだ事ないんですけど、
おそらく魅力的なキャラだったり、ストーリーがある物語なんだと思います。

だけど、グインサーガが大好きな人でもさすがに全く知らない人に全部読んでみてって
オススメ出来ないと思うんですよね。
「これ凄い面白いけど、130巻続いて最後は未完だよ」って言われたら
手を出しにくいってレベルじゃねーぞ!じゃないですか。

物語は読まれないとその価値を失います。
言わば社会的に死ぬと言う事です。
このままだとグインサーガを愛している人が少しずつ減っていって
ゼロになった時に忘れ去られます。

グインサーガは栗本先生の死によって「未完」という不老不死になりおおせました。
しかしそれは社会的に言えば「死」と等価であり、幸せな状態だとは言えません。

たとえグインサーガを誰かが引き継いで上手に終わらせたとしても、
それはもう栗本薫のグインサーガじゃないんですよね。
普通の話を延々として恐縮なんですけど、
文体とかタッチとかあとがきとか、文章にはその人そのものが映し出されるので、
どんなに真似てもそれは偽物で、グインサーガは栗本先生にしか書けないんです
(拙さなどのネガティブな物も含めて)。

栗本先生はなんとか完結しないといけないと思ってたみたいなんですけど、
申し訳ないんですけど、おそらくもう遅すぎたんです。
ちょっと調べただけですけど、前々から体調は芳しくなかったようなので、
それも見越して終わらせないといけなかったんです。
ただもうまとめないといけない時には加齢と病魔で栗本先生の能力と気力が
作品よりも落ちてたんですね。
だからおそらくもっと時間があっても
読者の納得のいく終わりを迎える事はできなかった・・・のかもしれません。

つまりですね、物語は終わる事で完成します。
完成する事で読まれる可能性がなんとか保たれます。
死ぬ事で生き返るんですね。(いつものレトリックですが)

青臭い事を言うと、古典はいつでも時代ごとの人の心に残るから生きているのであり、
何百年前に完結してるから死んでると言う事ではないのです。

まぁ言い訳なんですけど僕がこち亀を批判するのは
秋本先生が自分で晩節を汚してるからなんですよ。
こち亀が愛されてるから続けないと行けないんじゃなくて、
こち亀が愛されてるうちに終わらせないといけないんです。

つまり正しく古くならないと古典になれず、将来の人が読まなくなります。
ただでさえ過去の作品は読まないんですけど、なおさら読まなくなります。
そうなると、今の読んでる人がいなくなったら作品として死ぬ事になります。

だからワンピースとかちょっと不安なんですよ。
尾田先生にはもちろんグランドデザインが見えてるんでしょうけど、
10年後に今の力があるかどうかはまた別問題な訳で。

違う世界ですけど、小室さんもつんくも全盛期には自分が曲が作れなくなるなんて
思っても見なかったはずで、創作作品の枯渇って言うのは恐ろしいと思います。
(逆に言うと出し尽くしたって言うのは幸せなのかもしれない)
また、創作者って多分湯水のようにアイデアが思いついてる時は
まさか自分が枯れるはずがないって思うんですよね。
その辺も死と似てると言えば似てるんですけど・・・

アニメになると、もう少し話は複雑で、
作者に加えて制作会社とか声優とかいろいろな
要素が加わって作品になります。
例えばですね、ルパンの初代の声優山田康雄さんは亡くなって、
今はモノマネしてた栗貫が当ててるんですけど、それは結局モノマネなんですね。
(これに関しては栗貫も認めてるし、辞めたがってるらしい)

だいたい山田ルパンはアドリブ全開でああなった訳で、
新しい事ができない栗貫ルパンが初代を越える事はできないし、
また新しい事をしてもそれはもうルパンなのかなって思うんですよ。
要はキーパーソンがいなくなった時点で作品の身の振り方を考えないと
いけないんじゃないかなと。
普通に考えてルパンが山田康雄が声当ててる時より面白くなる訳無いじゃないですか。
毎年夏に新作やってますけど、
このままやっててもルパンってつまんねーなって
若い人達に思われて終わりなのがなんか残念なんですよ。

わがままなんですけど、物語には作る事で価値が落ちるのが
はっきりしだしたら終わって欲しいんですよ。
死なないと行けない作品がゾンビみたいに生きてるから、
「殺せ!」って声が喧しくなって世の中が殺伐としていくんですよ(飛躍しすぎ)。

作り手の人には自分の作品とつかず離れずというか、親バカになっていつまでも
チヤホヤしたり、逆に虐待して殺しちゃったりとか自分のためだけに利用とかせずに、
独り立ちさせてあげて欲しいという完全に僕のお願いなのです。

拝金主義とか言う防腐剤で作品のゾンビ化が可能になった今、
作家側の判断が重要になる場合が前より増えるんじゃないでしょうか。
上手くいかなかった時、作品群は死ぬ事もできないでさまようしかないんでしょうか?

あぁ人生に触れるの忘れてた。つまり死ぬべき時に死んだ方がいいよってことです。

・・・そんなつまんねーオチかよ死ね!ってみんなが思った所で今回は終わりです。

(このテキストはここで死にました。無駄死です)
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けった

2017年はほどほどに

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