第2回けったラジオ!アップ

けったラジオ!
02 /27 2010
第2回けったラジオ!をけったラジオ保管庫にアップしました。

聞き逃した方は是非聞いて下さいませ。
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第2回けったラジオ!本番

けったラジオ!
02 /20 2010
第2回けったラジオ!

20時45分より練習放送、21時より本番を始めます。

ラジオ:http://std1.ladio.net:8050/ketta11.m3u

掲示板:http://jbbs.livedoor.jp/internet/5614/

(終了しました)

日時 2010年2月20日(土)午後9時~午後11時30分

タイムスケジュール
2月20日(土)
20時45分テスト放送開始
21時本番開始
以下けったがB’zの凄さについて語りまくる(予定)
22時休憩
22時5分再開

再開後、お便りコーナー「けったtoけった」
けったさんの脳内からのお手紙をけったさんが読みます。
お便りいらずの便利なお便りコーナーです。

22時30分 このぐらいで母親萌えの正体が明らかに?

22時40分 今治青春ドラマ披露「あの日の3人」

22時45分頃 今度こそリベンジ! 「イントロ&歌当てクイズ」
けったボイスでのイントロ&歌当てクイズです。今回は難易度低め(予定)です。

23時休憩
23時5分再開
以下掲示板の人たちと遊ぶコーナー

23時15分 けったがついに新曲披露!?

曲名「けった大なりビーズ」


23時半大団円

博愛という魅力的な狂気 ~中島みゆき『銀の龍の背に乗って』~

J-POP解釈
02 /16 2010
J-POP解釈第2回目は中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』です。
この歌はDr.コトーのドラマの主題歌と言う事で、簡単にテーマを設定すると、
中島みゆきが考える「人を救うと言う事はどういう事か」が書かれていると思われます。

この歌詞を考えるのに当たって「銀の龍」って言うのは何なのかを考えるのが
割とキーだと思うんですが、
自分の答えを言うと「銀の龍」っていうのは飛行機のメタファなんです。
このテキストはそこへの気付きからの一点突破で書かれているんですが、
そこが分かるとこの歌詞の意味は簡単に分かります。

「自分の無力さを自覚した上で成長し、世界中で待っている「誰か」を助けに行こう」

命の砂漠へ雨雲の渦を運んでいくと言う事は恵まれてない所へ恵みを与えるって
言う事だと思うんですけど、ただここで中島みゆきが物質的な援助だけを想定しているとは思えなくて
(具体的に言うと日本のODAみたいな事)、
やっぱりDr.コトーみたいな直接的援助を世界中でやろうって言うのを考えているのだと思います。

Dr.コトーはあえて日本の僻地へ残って地道に医療活動をしてるんですが、
中島みゆきは「飛行機に乗って行って世界中の人を助けようぜ」って言ってるのです。
そういう意味では中島みゆきはいつものようにスケールがデカイんですが、
ただここでちょっと気になる点があって、
お医者さんだったら医療技術で世界の誰かを助ける事ができますよね。
(ex.ペシャワール会とか)
でも中学生とか高校生が誰かを助けたい!って強く思ったとしても
近所のゴミ拾いとかおじいちゃんの肩たたきとかが関の山じゃないですか。
これは中高生をバカにしている訳じゃなくてこれも立派な社会貢献だと思ってるんですけど、
いきなり世界に飛び出していっても逆に世界の人が迷惑なんですよね。

例えば新潟が震災に見舞われた時にボランティアの方がたくさん現地に行かれたみたいなんですけど、
技能がない人は逆に居たら邪魔って言ったらアレですけど、
何もできないのに来られても滞在費用がかかって自治体も困るって感じだったらしいんですよね。

要は誰かを助けるためには何かしらの能力が必要になるんであって、意思以前の問題なんですよね。
だから能力が十分でない人はちゃんと身につけてから世界に出て行かないといけないのです。
この歌詞では助けるかどうかの意思が問題になってるんですけど、
能力面にあまり触れてないところがちょっと不満な点です。
(でもそんな所まで触れてたら情感溢れる歌にならないというのはあります。
つまりこれは野暮なツッコミと言う事です)

あとは世界の人を助けに行くって言うのは、
やっぱり世界中の人をできるだけ等しく扱おうという博愛主義があると思うんですが、
一体どこまで等しく扱えるのかなという単純な疑問があります。

たしかに世界を見渡すと餓死してる人や戦争で死んでる人もいる訳で、
日本では考えられない不幸で世界は充ち満ちています。
人としてそれをなんとかしたいと思うのはきっと自然な感情です。

でもですね、その人たちに何もしてあげられない非力を嘆く前に
非力でも身近な人に何かしてあげる事はできるような気がするんですよね。

つまり何が言いたいかって言うと、
銀の龍の背に乗らなくてもできる事はあるはずなんですよね。

直接的援助(人的援助)が大切なんだって言うのはその通りだと思っていて、
お金だけバラまいてもたいして感謝されないって言うのは日本の戦後外交で明らかだと思うんですけど、
かといって国内をなおざりにして世界に打って出る訳にもいかないのです。

思うに、目の前の人を助けるのにはそれほど理由は要らないはずなんですが、
世界にいる未だ見ぬ「誰か」を助けるためには理由が要るんですよね。
その理由が結局分け隔て無く人を愛するのが良いという博愛という思想なんです。
博愛が良いと言う考えがあって世界に出て行こうとするんですよね。

世界中の人を救いに行く考えを博愛と呼ぶのだととしたら、
博愛とは魅力的な狂気であると捉えるのが適切なのではないかと思います。

僕としては目の前の問題にとらわれてそれを解決しようとする方がより自然だと考えますし、
少なくとも非力な1パンピーである僕は博愛という思想にどんなに惹かれても、
すべての人を等しく愛する事も救う事もできやしないと思うからです。

(フォロー:否定的な感じになりましたが、中島みゆきは大好きです)

2010 2/14 (日)

その他
02 /14 2010
・来週のけったラジオ!で詳しく話すと思うが、
 ムーさんとまりもさんに会いに今治に行ってきた。
 ちょっとしか居られなかったのが凄く残念だった。
 やった内容は我ながら何というかもうね・・・
 愛媛は生まれ故郷&小学生の頃住んでいたのだが、
 流石にもう全然関係ない都市なんだなぁと
 今回しみじみと思った。アイム福岡県民。
 飛行機で行ったが流石にもうお金がない。
 今更だけど行きは小倉からフェリーだったかなと軽く後悔。
 そろそろ社会人らしい金の使い方をせんばいかんね。

・エヴァ総括がようやく終わった。
 半月と言っておきながら3ヶ月かかってしまった。
 ジリジリさせた人がいたとしたら申し訳ない。
 自分の中で言いたい事は言ってしまったので、
 もうそんなにエヴァに頓着しなくて済むと思う。
 まぁそれを狙って書いたのだから。
 jonyさん掲示板の返信遅れてごめんなさい。
 書いたのでできれば読んで下さいませ。

・まだかがみさんの本を読んでない事実どうしよう。
 誰も憶えてない分罪悪感が募る。
 ちゃんとやりますっ・・・ちゃんとやりますからっ・・・

明日から仕事頑張るか!

エヴァンゲリオンとは何だったのか その8(終) ~まごころを、君に~

エヴァ総括
02 /11 2010
最後は旧劇場版に僕なりの解釈をして終わりにします。

・旧劇場版はディスコミュニケーションの世界である

これはここの内的世界での会話劇を読んでもらえば分かります。

アスカ「何も判ってないくせに、私の側に来ないで!」
シンジ「・・・判ってるよ」
アスカ「判ってないわよ、バカッ!」
アスカ「あんた私のこと、判ってるつもりなの!?」
アスカ「救ってやれると思ってんの?」
アスカ「それこそ傲慢な思いあがりよっ!!」
アスカ「判るハズないわ!!」
シンジ「判るはずないよ」
シンジ「アスカはなんにも云わないもの」
シンジ「何も云わない、何も話さないくせに、判ってくれなんて無理だよ!!」
レイ「碇君は判ろうとしたの?」
シンジ「判ろうとした」

この先も分かり合えない会話が続くのですが、
エヴァは自意識に苛まれて他者と上手く繋がれない人間をずっと描写しています。

・なぜアスカは最後に気持ち悪いと言ったのか

その前になぜ最後にアスカとシンジの二人が残されたのかという疑問もあるのですが、
これはエヴァに乗っていたのが二人だけだったからなんです。
つまりエヴァに乗っていたから人類補完計画が発動しても比較的早く自我を取り戻して、
あそこに残ることになったんですね。
このように庵野監督は精神論だけじゃなくて物理的な根拠もきちんと残しています。
アスカが精神崩壊したのも、プライドがズタボロになったという点というよりも、
使徒の攻撃を受けたという点の方が大きいというような点もそうです。

で、なぜアスカが最後に気持ち悪いと言ったのかですが、
これはみんなが人類補完計画で溶け合った時に
自分の本心をシンジに覗き見られたからです。
一番知られたくなかったと同時に知って欲しかったシンジへの好意が、
みんなの心が一つになった事でバレてしまったんですね。
「あんたが全部わたしのものにならないのなら、私、何もいらない」
という気持ちがバレてしまった。

これはシンジ側からすれば一種の「ズル」です。
本当なら現実のコミュニケーションで知る努力をして
知らないといけないアスカの気持ちをショートカットして知ってしまったんです。

だから気持ち悪いとアスカは言った、と解釈します。
あのラストはあれからディスコミュニケーションだらけの世の中でそれでもなんとか
コミュニケーションを積み重ねていかないといけないというラストなんです。

・なぜ「逃げちゃダメ」なのか

これは旧劇場版というよりはエヴァの全体的なテーマですが、
なぜかというと逃げちゃダメな局面では逃げた方が遙かにつらいからなんです。
シンジはエヴァに乗る前はゲンドウの知り合いの所に預けられていたんですが、
そこには結局何もなかったんです。確かに傷つく事はない場所だったんですが、
同時に誰からも必要とされていない場所だったんです。
それよりもエヴァに乗るって言うのが非常につらい事でも、
誰かから必要とされるっていう意味での充足感があるんです。
だからこそ「逃げちゃダメ」なんです。

・本当の夢とは何なのか

僕が何度も旧劇場版を見るうちに最後は二つの場所を繰り返して見るようになりました。
それがアスカとシンジが言い争う場面と、この夢が何かを問うシーンです。

シンジ「ねぇ・・・」
ミサト「何?」
シンジ「夢って何かな?」
アスカ「夢?」
レイ「そう。夢・・・」

シンジ「わからない。現実がよく分からないんだ」
レイ「他人の現実と自分の真実との溝が正確に把握できていないのね」
シンジ「幸せがどこにあるのか、わからないんだ」
レイ「夢の中にしか幸せを見いだせないのね」
シンジ「だから、これは現実じゃない。誰もいない世界だ」
レイ「そう“夢”」
シンジ「だから、ここには僕がいない」
レイ「都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね」
シンジ「いけないのか?」
レイ「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね」
シンジ「僕ひとりの夢を見ちゃいけないのか?」
レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」

シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
レイ「それは、現実の続き」
シンジ「僕の、現実はどこ?」
レイ「それは、夢の終わりよ」

この最後の4文に非常に感銘を受けたんですが、
この文の意味はずっとよく分かっていませんでした。
ですが今ではこういった意味だったと思っています。
この文章はこう補足すると意味がよく分かります。

シンジ「じゃあ、僕の(現実世界の)夢はどこ?」
レイ「それは、現実の続き」
シンジ「僕の、現実はどこ?」
レイ「それは、(虚構世界である)夢の終わりよ」

つまり、本当の夢(目標)はどこまで行っても現実世界にしか存在しないんです。
だから虚構世界から戻ってこれていない人は現実に戻ってこないといけないんです。
現実の目標を目指して現実と闘わないといけないんです。

庵野監督がこれほどまでに旧劇場版で現実世界に回帰せよというメッセージを発しているのに、
そのメッセージは今のヱヴァンゲリヲンに歓喜している人たちには伝わらなかったと言う事です。
庵野監督の「まごころ」は受け取られませんでした。
それこそが最たるディスコミュニケーションだったと言うとそれは皮肉に過ぎる話なのかもしれません。

それでも僕たちは現実に生きています。
よって現実を生きない事にはどうしようもないんです。
だから最後に僕も庵野監督と同じ事を言わないといけないんです。

虚構世界からいつまでも戻ってこない人達!
現実世界にあなたを必要をしている人
がいるんです!!
だから現実世界に戻ってきてください!!
お願いします!!

エヴァンゲリオンとは何だったのか その7 ~ヱヴァンゲリヲンとは何なのか~

エヴァ総括
02 /07 2010
今回は新劇場版についての話です。
なぜ新劇場版が作られたのかというと、
まず庵野監督がスタジオカラーを立ち上げたためにお金が必要というのがあります。
そして次としては、新たにエヴァを終わらせる事によって
エヴァのTVシリーズ化を狙っているというのがあります。
僕が強調したい点はこの2点よりも次の点で、
「エヴァを引きずっている人にピリオドを打つ」
という意味がヱヴァンゲリヲンには込められていると思います。
それは視聴者側もそうですが、それよりも製作者側、特に新劇場版の監督である鶴巻監督
のために作られているのではないでしょうか。(庵野監督は総監督)

庵野監督はエヴァのパチンコ化にしても二次創作にしてもどんどん認めてきました。
これはアニメ関係者の中でエヴァが神格化されていく状況を快く思わなかったためです。
しかしこれだけ庵野監督がエヴァを破壊してもエヴァの神格化は止まりませんでした。

その中でも特に身内で関わっていた鶴巻監督が一番エヴァを引きずっていたと思います。
どんなにアニメを作ってもエヴァには及ばない。
この「エヴァには勝てない」というコンプレックスを覆すにはどうすればいいか。

実際にエヴァを作って自分で壊せばいいのです。

つまり新劇場版ヱヴァンゲリヲンは実質的に鶴巻監督が作っていると考えるのが自然です。
庵野監督は文字通り総監督としてサポートに回っていると思われます。
例えば新キャラのマリですが、これは世代を代表しているキャラとかそういったものではまったくなく、
鶴巻監督の作品に出てくる主人公キャラそのものです。

序は文字通り序だったのでほとんど前作を踏襲された作りでしたが、
破では新キャラが登場し、物語が少し違う方向へ進み出しました。
おそらくこの傾向は強まり、
Qでは鶴巻監督によるさらなる旧エヴァの破壊が行われると思います。
(より鶴巻カラーのエヴァになる)

そしてそれが鶴巻監督をエヴァの呪縛から救い出す事になるのです。
そういった庵野監督の鶴巻監督に対する思いやりが込められているのではないでしょうか。

次は旧劇場版に庵野監督がどんなメッセージを込めたかを説明して
この総括を終わりにしたいと思います。

エヴァンゲリオンとは何だったのか その6 ~非モテの庵野とリア充の庵野~

エヴァ総括
02 /06 2010
5の続きです。
エヴァで自分のコンプレックスを赤裸々に披露した庵野監督が
エヴァンゲリオン後に進んだ道は「アニメから離れる」という道でした。

エヴァ後にアニメ『彼氏彼女の事情』の監督をしましたが、
その後は映画監督として5年以上行動する事になりました。
ポイントは「なぜアニメから離れたのか」という事なのですが、
これはどこまで行ってもアニメにしか興味が持てない
自分自身に心底嫌気がさしたという事だと思われます。
だからこそアニメーションという虚構そのものから
一番遠い「実写」というリアルそのものに転向したのです。
しかしその転向とて一種の逃げでした。
(宮崎駿監督も庵野監督の映画監督への転向は
アニメからの逃げであるとの旨の発言をしています)
なぜ逃げだったのかというと、
結局一番庵野監督の才能を活かせる分野はアニメーションだからです。

結果的に庵野監督は実写の映画監督として名作を作り出す事はできませんでした。
『ラブ&ポップ』では徹底的にパンチラシーンをカットしたり(リアルさの排除)、
『キューティーハニー』ではハニメーションというアニメの要素を入れてみたりしたのですが、
これはアニメから離れられないまま実写を作っていたという事です。

要は庵野監督はむき出しのリアルそのものに耐えられない人間なんです。
そして実写って言うのはリアルさを全開にしないと人の心に届かない分野なのであり、
庵野監督は苦手な分野でずっと行動していた事になります。

庵野監督自身もアニメが得意分野だと言う事は深く自覚していたと思います。
しかしどうしてもアニメには戻ってこれなかった。
なぜかというと、再度触れる予定ですがエヴァンゲリオンで
徹底的に視聴者に「アニメから離れよ」というメッセージを発信したからです。
その張本人がアニメを作り続けるという矛盾を強く強く感じていたと言う事です。

庵野監督はエヴァ前とエヴァ後で人間関係も大幅に変わりました。
エヴァ前はガイナックスの面々、いわゆる同じアニオタの人たちとの関係が当然中心だったのですが、
エヴァ後は有名になった事もあって他業種の人たちと関係を持つようになりました。
特に演劇関係の面々と知り合いになり、対談本を出すまでになっています。

周りから見るとこれはエヴァ前とエヴァ後で庵野監督は
非モテからリア充に変わったと言う事です。
アニメ監督→実写映画監督という転身を考えれば
非モテからリア充というのも分かりやすいと思います。

しかし庵野監督にとっては前述したように失敗に終わった転身だったのですが、
大きく得たものがありました。
それが安野モヨコ先生の存在です。
いわゆるリア充になっていなかったら安野先生と結婚するなんて事はなかったと思います。

安野モヨコ先生の『監督不行届』を見れば二人がどんな感じで過ごしているのかは分かるのですが、
とにかく庵野監督がオタク丸出しです。

でもこれは安野先生と二人きりだからこそ庵野監督が見せる自分自身の本質なんです。

このオタクである本性を親に出せなかったからこそのエヴァンゲリオンであり、
庵野監督がずっとオタク性を出せない環境にあったと言う事が分かります。

庵野監督が結婚生活で得たものはコンプレックスの解消です。

マザーコンプレックスも結婚生活によって解消し、
アニオタとしてのコンプレックスも解消されたはずです。

後者がなぜ言えるかというと、再び庵野監督はアニメーションに戻ってきたからです。
逃げ続けていたシンジという主人公を描いた庵野監督が、
ようやくアニメから「逃げない」という選択肢を取ったのです。

エヴァンゲリオンは庵野監督のコンプレックスの塊でした。

それがなくなった今、庵野監督がどんな作品をアニメーションで作るのかに、
大変興味がそそられます。

次は番外編でヱヴァンゲリヲンとは何なのかを話します。

第2回 けったラジオ!延期のお知らせ

けったラジオ!
02 /05 2010
こんにちは。
けったラジオですが、
所用により日時を変更します。ご了承ください。

日時は、

× 2010年2月13日(土)21時より

○ 2010年2月20日(土)21時より 

行います。他は全て同じです。

と言う事でよろしくお願いします。

けった

2017年はほどほどに

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