SPEEDのすべて~ストリートでたむろする少女たちの孤独~

J-POP解釈
03 /28 2013
SPEEDの歌詞の世界観では、「街」というものが大きなウェイトを占めています。
主人公はティーンエイジャーなんですが、学校という歌詞は一切出てきません。

>街のざわめきに かき消されてく
>いくつもの叫びと愛の唄

>風に吹かれて この街に立ち 涙を拭おう

「Starting Over」より

>溢れ出してく メインストリート
>この街の中 生きてる意義
>必要とされてる実感
>少しでも 感じていたい

「Long Way Home」より

>すれちがう人は誰もが足早で
>ひとりだけこの街に取り残されたよう

「Cryin’」より

>ため息もすぐかき消される街の中で
>傷つくたび やさしくなっていけるはず

>魂まで 街の誰かに 奪われないで

「Carry on my way」より

>みんなの待つ街へくり出そう!!

「Brand new weekend」より

街に繰り出して何をしているかと言えば、
たむろしていたり出逢いを求めたり友達と踊ってオールしたりしています。

>HIPなビートに合わせて たむろしてるBad Boyz & Girls

「Kiwi Love」より

>群れてるだけのEvery Night

「Long Way Home」より

>夜が明けてく公園で 仲間たちと話題がずっと尽きない

「Too young」より

>陽気になって街へとびだしアタシたちは歩いてく

>さあ 今夜は朝までParty Night
>いつもの顔が揃ったら 指を鳴らし
>ハメをはずして歌い踊り明かそう!
>いっしょにいたいねMy Best Friends

「Happy together」より

>今日も出逢い求めて
>街へくり出そう

「Body&Soul」より

>街へ夜が今日も降りてきたら
>キガエテ・・・気の合う仲間と出逢える場所へ

「Another Sweet Field」より

>地下鉄をおりれば にぎわう街 Weekend
>待ち合わせの ファーストフード
>くりだそうぜ Funky Night
>車の列のすき間 小走りに渡れば

>Backst.からR&B
>アタシたちの Little World
>顔見知りの Funny Guy
>群がっていく”Clap your hands!”
>はみ出したいよ 今夜は思いきり みんな忘れて

>Step into the Night 夜はこれから
>さぁ踊り明かそうよ Over Night

「RAKUGAKI」より

家はあるんでしょうが、帰りたいと思う場所ではないのです。

>Heartbreak 踊りつづけてた
>朝の風がムナしかった
>帰るトコなんてなかった日々

「All my true love」より

>帰るアテなく
>街の風に吹かれてる

「Street life」より

恋愛も街の仲間たちから発生します。

>仲間とは違う サインで呼び合うたび
>強くなれる

「White Love」より

>メールで毎晩「おやすみ」っていい合って眠る習慣
>いつしか友達のひとりから あなただけリンクしていた

「Eternity」より

恋愛のパターンとしては、
・好きな男子に振り向いて欲しい 「Luv Vibration」「STEADY」
「熱帯夜」「Confusion」「Lookin’ for Love」「ラブリーフレンドシップ」
・好きな男子を恋人にしたい「Up To You!」
・彼氏とお別れする 「サヨナラは雨の日・・・」「Luv Blanket」「I remember」
・彼氏とお別れしたから男遊びしよう「Long Way Home」
・彼氏とお別れしたからひとりで生きて行かなきゃ「Brand-New Weekend」
・男遊びしちゃおう 「RAKUGAKI」
・彼氏がいるけど違う男子に乗り換えよう「Secret Eyes」
「Moonlight Honey」「コケティッシュDreamin’」「Deep Blue & Truth」
・彼氏がいるけど違う男子と恋の予感を感じている「Kiwi Love」
・別れた彼氏とやり直したい「季節がいく時」
・彼氏と別れてつらい「君とまた逢える日を」
・彼氏と別れなければよかった「蒼いリグレット」
・彼氏と会えなくて寂しい「Let’s Heat Up!」「Snow kiss」
・彼氏といつまでも一緒にいたい「Two of us」「Eternity」
・彼女がいる人を好きになってしまった「カルア・ミルク」
・彼氏のために生きていきたい「White Love」

などです。
SPEEDの歌詞世界では恋人との行為を現すのはKISSが多いです。
SPEEDの後で伊秩弘将が同じようにプロデュースしたdeepsというグループがあるんですが、
その歌詞にはこんなフレーズがあります。

>マッタリ ラブホで

「ハピネス」より

Deepsの世界では恋人とセックスしてるっていう描写なんですが、
SPEEDの歌詞世界では抱き合うとか抱きしめるぐらいで収まっており、
セックスには触れられていません。
これはSPEED自身が10代だって言うのもあるんですが、
恋愛を歌いつつも清純なイメージを保っておきたいと言うことなのだと思います。

SPEEDの歌詞世界では彼氏とお別れした後にまた友達の所へ帰っていきます。

>ひとりになったけど
>ひとりじゃないって事
>やっと気づいたよ My Best Friends

>踊りにいこう いつものグループで

「I’ll be all right」より

友達も大事ですがそれよりも彼氏が大切なのです。
彼氏がいる時に友達に相談したりする描写はありません。

SPEEDの歌詞世界の主人公は自分たち以外の世界に興味がありません。

>矛盾だらけの世の中じゃ
>いいも悪いも興味がないよね

「Go!Go!Heaven」より

自分たちの世界で完結している訳です。

自分たちの世界のことをSPEEDの歌詞では「リトルワールド」と呼びます。

>Ah! 誰かにもたれ たむろしてたBack Street
>始発が来るまで 街中さまよっていた

>Little World 私が私でいれるトコ

>ここを出ていく いつか誰もが
>どんなに離れても いつまでも
>私たちだけは 染まっていきたくない
>逢うとすぐ 昔に戻れるね たとえ
>小っぽけな世界でも 唯一本当の事
>教えてくれた 大切な場所

「Back to the Street-リトルワールドへの想い-」より

ここで重要なのは自分たちの世界が「リトル」であることを自覚している点です。
街の中でも狭い領域で自分たちが生きていて、それ以外の方法が分からないのです。

リトルワールドには期限があります。それは大人になるまでです。
時が経てばすべてが変わっていくという感覚が色濃くあります。

>こんなにしあわせなのにね
>人はみんないつか 離れてくなんて嘘だよね

>変わってくこの街で

「Eternity」より

>変わってく 街も人も愛もみんな

「My graduation」より

>もうすぐこんな風にいつも会えなくなるんだね
>想像できない未来のドア アタシたちは開けていく

「Happy together」より

>陽だまりをさがして今日も 街を彷徨ってた
>ひとりになるのがずっと怖かった
>誰でもいつか 離れてゆくこと どこかできっと知りながら
>寂しさ 暖め合っていた

「You are the moonlight」より

今しかないこの瞬間だからこそ、リトルワールドのこの瞬間が大切なのです。
少女たちがリトルワールドへ集うのは、埋められない心の空白があるからです。

>悲しみ分け合える仲間をさがして
この街を飛び交う 孤独なメッセージ

「Don’t be afraid」より

埋められない心の隙間を束の間癒すために、少女は街へ繰り出します。

SPEEDの解散で出された曲では、街を出て行って大人になる描写があります。

>I must go out to the street・・・

>四月がめぐり来る毎に 私達は大人になってく

「April ~Theme of “Dear Friends”」より

ストリートでたむろする少女たちの孤独を歌ったのが、SPEEDなのです。
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痛みを分かち合うということ

J-POP解釈
01 /20 2011
お久しぶりのJ-POP解釈第4回目は、
けった大好きB’zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」です。

B’zの説明は省略しますが、
実は僕はこのタイトルの意味が初めて聞いた時からずっと分からなかったんです。

愛のままにわがままに僕は君「を」傷つけない、
なら愛情という文句でわがままに貴方を傷つけませんよという意味で簡単に分かるんですが、
愛のままにわがままに僕は君「だけを」傷つけないって書いてあるじゃないですか?

一体どういう事だろうと思って、「だけを傷つけない」って事は誰か他に傷つけるのか?
でもですね、愛のままに他人を傷つけるっておかしいじゃないですか。
見知らぬ他人を愛情で傷つけるって言うのもおかしな話で、
見知らぬ他人なんだから愛情もヘッタクレもないですよね。

でも最後の一文に、>他人(だれか)の血が流れても 一途な想いをふりかざそう
ってあるんで、確かに自分たちの愛情を守るために他人を傷つけるっていう解釈も充分に成り立つんですが、
僕は家に帰りたくなくて一人で飲んでる時にこう思ったんです。

つまり誰を傷つけるのかって言うと、それは自分自身なんです。

このタイトルは恋愛相手の痛みを共有しますよっていうメッセージなんです。
「僕は愛情でわがままに君を傷つけるけど、その痛みを共有するよ」という事です。

愛情で傷つけるなんておかしいって言われるかも知れませんが、
人間関係は傷の付けあいじゃないですか。
自分と他人は違う訳で、ましてやずっと一緒にいて行動してたら傷つけますよね。

でも稲葉浩志は「傷つけることになっても君に愛情を注ぐ事は止めない、
その代わりに君が傷ついた時は僕も傷つく」と言っているんです。

あんまり愛愛言ってて気恥ずかしいですが、痛みを共有することが恋愛だって言ってるんですよ。

ここまで考えると、一体どれだけのカップルがお互いの痛みを共有できてるのかって話ですよ。
一方的な考えで無遠慮に傷つけあって惰性で付き合ってるじゃないですか。


非モテがバレそうなんでこの辺にしときますが、
真面目に相手と付き合うなら傷つけることは厭わない、
でも自分も傷つくっていう精神でやってほしいと言って終わりにしましょう。

誰も触れない夢の世界へ、そして現実へ

J-POP解釈
07 /11 2010
J―POP解釈第3回目はスピッツの「空も飛べるはず」と「ロビンソン」です。
ヌガーさんリクエストありがとうございました。

実はスピッツの歌詞とはずっと悪戦苦闘していて、草野マサムネを憎みもしたのですが、
草野さんはあんまり歌詞に意味を求めてない気がするんですよね。
だから一文一文を解釈するのはあまり得策ではなくて、
まるっと登場人物が夢の世界へお互い行っていると考えるのが自然な気がします。
ですのでヌガーさんには申し訳ないですがトータルイメージで述べます。

僕のイメージではロビンソンはラピュタなんですよね。
誰も触れない二人だけの国で大きな力で空に浮かべたら
宇宙の風に乗るってラピュタの事じゃないですか。

で、これは草野マサムネの夢の世界なんです。

待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳

この歌詞が重要です。夢のほとりって事は夢と現実の境界線で二人が出会っている訳です。

そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ 

現実の住民から夢の世界の住民に生まれ変わるんですね。
そして夢の世界だから何でもありなんです。宇宙の風に乗れるんです。

要はお互いが寝ている時に夢で出会ってる話がロビンソンなんです。
昔から日本人は夢の中に異性が出てきたらその人が自分の事が好きだと言う事になっていました。
一歩進んで現実を捨てて夢で結ばれるのがロビンソンなんです。
そういう解釈では現実ではなかなか二人は結ばれなかったのかもしれません。

新しい季節は なぜかせつない日々で 

と歌われていて、なぜかせつない=なかなか結ばれないとも解釈できます。

もういっぽうの「空も飛べるはず」。

「空も飛べるはず」で重要なのは、君と出会うことで自由に空が飛べる気がすると言う事です。
「空も飛べるはず」って言うのは実際飛んでる訳じゃないんですよね。
たぶん~はず、って事ですから。じゃあなんで「はず」なのか。

はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて

そうなんです、「深い眠りから覚めて」しまっているので実際には飛んでないんですね。
空も飛べるはずはロビンソンとは逆に夢の世界から現実の世界に戻ってくる話なんです。
だから前半の歌詞は幻想的で後半はそうでもないんです。

夢から覚めて現実でこれから君と結ばれようって言う話が「空も飛べるはず」なんです!

・・・と言う事にしといてください。

博愛という魅力的な狂気 ~中島みゆき『銀の龍の背に乗って』~

J-POP解釈
02 /16 2010
J-POP解釈第2回目は中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』です。
この歌はDr.コトーのドラマの主題歌と言う事で、簡単にテーマを設定すると、
中島みゆきが考える「人を救うと言う事はどういう事か」が書かれていると思われます。

この歌詞を考えるのに当たって「銀の龍」って言うのは何なのかを考えるのが
割とキーだと思うんですが、
自分の答えを言うと「銀の龍」っていうのは飛行機のメタファなんです。
このテキストはそこへの気付きからの一点突破で書かれているんですが、
そこが分かるとこの歌詞の意味は簡単に分かります。

「自分の無力さを自覚した上で成長し、世界中で待っている「誰か」を助けに行こう」

命の砂漠へ雨雲の渦を運んでいくと言う事は恵まれてない所へ恵みを与えるって
言う事だと思うんですけど、ただここで中島みゆきが物質的な援助だけを想定しているとは思えなくて
(具体的に言うと日本のODAみたいな事)、
やっぱりDr.コトーみたいな直接的援助を世界中でやろうって言うのを考えているのだと思います。

Dr.コトーはあえて日本の僻地へ残って地道に医療活動をしてるんですが、
中島みゆきは「飛行機に乗って行って世界中の人を助けようぜ」って言ってるのです。
そういう意味では中島みゆきはいつものようにスケールがデカイんですが、
ただここでちょっと気になる点があって、
お医者さんだったら医療技術で世界の誰かを助ける事ができますよね。
(ex.ペシャワール会とか)
でも中学生とか高校生が誰かを助けたい!って強く思ったとしても
近所のゴミ拾いとかおじいちゃんの肩たたきとかが関の山じゃないですか。
これは中高生をバカにしている訳じゃなくてこれも立派な社会貢献だと思ってるんですけど、
いきなり世界に飛び出していっても逆に世界の人が迷惑なんですよね。

例えば新潟が震災に見舞われた時にボランティアの方がたくさん現地に行かれたみたいなんですけど、
技能がない人は逆に居たら邪魔って言ったらアレですけど、
何もできないのに来られても滞在費用がかかって自治体も困るって感じだったらしいんですよね。

要は誰かを助けるためには何かしらの能力が必要になるんであって、意思以前の問題なんですよね。
だから能力が十分でない人はちゃんと身につけてから世界に出て行かないといけないのです。
この歌詞では助けるかどうかの意思が問題になってるんですけど、
能力面にあまり触れてないところがちょっと不満な点です。
(でもそんな所まで触れてたら情感溢れる歌にならないというのはあります。
つまりこれは野暮なツッコミと言う事です)

あとは世界の人を助けに行くって言うのは、
やっぱり世界中の人をできるだけ等しく扱おうという博愛主義があると思うんですが、
一体どこまで等しく扱えるのかなという単純な疑問があります。

たしかに世界を見渡すと餓死してる人や戦争で死んでる人もいる訳で、
日本では考えられない不幸で世界は充ち満ちています。
人としてそれをなんとかしたいと思うのはきっと自然な感情です。

でもですね、その人たちに何もしてあげられない非力を嘆く前に
非力でも身近な人に何かしてあげる事はできるような気がするんですよね。

つまり何が言いたいかって言うと、
銀の龍の背に乗らなくてもできる事はあるはずなんですよね。

直接的援助(人的援助)が大切なんだって言うのはその通りだと思っていて、
お金だけバラまいてもたいして感謝されないって言うのは日本の戦後外交で明らかだと思うんですけど、
かといって国内をなおざりにして世界に打って出る訳にもいかないのです。

思うに、目の前の人を助けるのにはそれほど理由は要らないはずなんですが、
世界にいる未だ見ぬ「誰か」を助けるためには理由が要るんですよね。
その理由が結局分け隔て無く人を愛するのが良いという博愛という思想なんです。
博愛が良いと言う考えがあって世界に出て行こうとするんですよね。

世界中の人を救いに行く考えを博愛と呼ぶのだととしたら、
博愛とは魅力的な狂気であると捉えるのが適切なのではないかと思います。

僕としては目の前の問題にとらわれてそれを解決しようとする方がより自然だと考えますし、
少なくとも非力な1パンピーである僕は博愛という思想にどんなに惹かれても、
すべての人を等しく愛する事も救う事もできやしないと思うからです。

(フォロー:否定的な感じになりましたが、中島みゆきは大好きです)

前を向いたらもう振り向かない ~YUI 『My Generation』~

J-POP解釈
11 /29 2009
という訳で新コーナーのJ-POP解釈です。
第1回目はYUIの『My Generation』です。

goo 歌詞
この歌は庄司陽子の「生徒諸君!」がドラマ化された時の主題歌なんですが、
要はYUIにとっての「学校」がここに描写されているという事です。

この歌の歌詞はYUIのプライベートとかなりリンクした私小説的な歌詞です。
この歌の主人公と同様にYUIは16歳の時に高校を中退して
歌手になると言う「夢」を叶えるために音楽塾に通い出して、
天神(福岡の中心街)であぐらをかいて路上ライブを始めます。
その後sonyのオーディションで才能を見出されて、月9の主題歌でデビュー、
その後はだいたい読者の方も知っているような活躍っぷりです。


冒頭ではクラスになじめずにひとりぼっちの少女を描写しています。で、

>チャイムが鳴り終われば 現実はもっと早く進んでゆくでしょ?

チャイムが鳴り終わるっていうのは、
「学校が終わる」=「学校を辞める(中退する)」って言うのを暗示しています。
しかし高校中退と言う事になると、社会的にはかなりのマイナスを背負う事になります。
現実として就ける職業も制限されるし、社会の目も厳しいです。
学校の経歴というのは一生背負う事になります。
だからそれでYUIも学校辞めたいんだけど、なかなか辞められなくて迷ってるのです。

>窓ガラス 割るような
気持ちとはちょっと違っていたんだ

はじめから 自由よ


ここのフレーズは尾崎豊の「卒業」を皮肉ってるんですが、
尾崎豊が学校へ通う事を大人からの支配と捉え、
早く自由になりたいと言って校舎の窓ガラスを壊してまわるのに対して、
YUIは「はじめから自由」だと言っているのです。

つまり大人の管理下にある学校にいるから制限されて不自由というのは違うのです。
自分の行動の自由を縛っているのは自分自身なのであり、
そしてそれは「描いた夢を強く信じきれない弱さ」から来ているとYUIは断じています。
「描いた夢を強く信じきれる」なら「はじめから自由」なんです。

他人の目を気にして学校にいる必要なんてなく、
要は多大なデメリットを被る「覚悟」があるなら学校なんて辞めればいいと言う事です。
辞めたいとかほざいて窓ガラスを割るような行為は社会に対する甘えです。
「覚悟」なき反抗であり、自分のデメリットを受け入れる度胸がない行為なのです。

とか言って僕個人が学校中退を推奨しているわけではありません。が、
自分を信じる事ができれば、自分の進みたい方へ進むのに
どうして他人の目を気にする事があるのでしょうか?
進めばいいじゃないですか。

もちろん、YUIは傍目から見たら成功したからそう言えるんだし、
説得力があるというのはあると思います。
YUIと似たような境遇で失敗して他人から見たら
悲惨な人生を歩んでる人もいると思います。
描いた夢が思いつきのチープなものであれば学校を飛び出しても失敗します。
ましてや10代の時の夢なんてたいてい思いつきなんであり、
学校は中退するより卒業した方がいいに決まってます。

矛盾した事を書いているようですが、
辞める必要がどうしてもあるなら辞めればいいという事です。
規則の原則にはもれなく例外が付いて回るのであり、
そして例外はいつだって原則と相反しています。
ルールを守ると一言に言っても、
今が原則のターンなのか例外のターンなのかを自分で判断する必要があるので、
(たいてい原則って言うぐらいだから原則なんですけど)
簡単な事ではなく本当はとても難しい事なんです。

だから自分で決めてその決定に対する責任を甘受するのが一番大切なんです。
上手くいっても駄目でも自分の責任なんです。
他人の判断にただ乗りして失敗して他人を逆恨みなんてナンセンスなのです。

YUIは自分で決めて高校を中退しました。
結果が成功しても失敗してもそれは自分の思っている方向へ進んでいる事だったのだと思います。
だから仮に失敗した時も後悔はしても
「学校に残っていれば良かった」とは思わなかったのではないかと思います。
高校中退者には高校中退者の生き方があるのです。
きちんと生きる事が出来れば誰にもその生き方はバカにできないはずです。
そしてその生き方を笑う人間はもれなく学校という概念に捕らわれた不自由者なのです。

けった

2017年はほどほどに

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